わたしたちが、活動する理由

本会の役員・事務局で、「私たちが活動する理由」をはっきりさせておきたい
という意見があり、その意見に対する現在の「考え」を文章にし、役員会で検討しました。
長文ですが、ぜひ、お読みください。
(文責 宍戸 俊則)

原発事故によって、私たち被害者が失ったもの、
失いつつあるもの、これから失うかもしれないもの
「自主避難者に対する住宅支援打ち切り」に反対する根拠

「避難の権利」を求める全国避難者の会
2016年6月19日

1 この文章の目的・・・原発事故による被害を言葉にすること

 私たちは、東京電力福島第一原子力発電所事故(以下「原発事故」と書きます)の被害者です。被害者は、本会の入会条件を満たす人たちばかりではありません。今まで一度も避難など念頭に浮かばなかった人も、避難を考えたけれども何かの理由で今まで避難していない人も、日本国中に住むすべての人が、被害者です。この文章は、私たち被害者が、どのような被害を受けるのかを、言葉にして並べてみたものです。
特に、福島県からの自主避難者に対する住宅支援打ち切りが来年3月に迫っているので、その政策がいかに不当なものか、原発事故の被害を確認して明らかにしていきます。

2 今回の原発事故とはどのようなものなのか

 詳しい内容に入る前に、大切な前提を共有したいと思います。原発事故そのものが、まだ終わっていません。原子炉が3基メルトダウンを起こした上に、その溶けた燃料がどこにどのような状態で存在するか、分かりません。東京電力が記者会見等で認めているように、空中に飛び散る放射性セシウムも、事故発生直後に比べると量は減ったけれども、毎日、出続けています。溶けた燃料と地下水などが接触して発生している「汚染水」も毎日増え続けています。2011年3月11日に出された「原子力緊急事態宣言」は、まだ解除されていません。「廃炉は最長40年かかる」などと政府は言っていますが、溶けた燃料がどこにあるかを確かめるだけでも、どれだけの時間がかかるかわかりません。溶けた燃料の場所を特定する方法も、これから研究して見つける必要があるからです。

3 原発事故で失われた信頼感

 政府や都道府県庁、市町村役場、マスコミ機関、科学者や専門家に対して、私たち被害者は、既に信頼することができなくなっています。原発事故が発生して以来、「制御室の電源がつながれば危機は回避できる」とか「まだ放射性物質は外部に漏れていない」とか、沢山の間違った発表や情報を聞かされました。また、海外に向けて行われた「原発事故は完全にアンダーコントロールされている」などというウソの発表も放置されたままです。発表がウソであると分かった後も、そのウソが発表された原因の確認も責任の追及も行われていないのです。今後も信頼できない発表を聞かされ続けることになり、発表を信頼できない状況が継続することになります。

4 原発事故で避難した人が失った、賠償可能なもの・・・数えないからわからない

 政府の避難指示を受けた人たちが、住み慣れた家や居場所から強制的に離れざるを得なかったことは、今回の原発事故の被害として広く知られているし、メディアも繰り返し報道しています。避難によって、住民同士の繋がりがバラバラになり、家屋の損傷も深刻になり、墓参りや仏壇など、先祖との精神的つながりも希薄になってしまいました。

 加えて、報道は少ないですが、本会の会員のように避難指示区域外から避難した人たちの様子も、内容は不十分ながら、知られている部分もあります。

しかしながら、福島県以外から避難した人や、国が一方的に決めた「避難開始時期」からずれた時期に避難した人たちは、「災害救助法」に基づく住宅支援を受けられなかったり打ち切られたりしていることまで報道されることは、回数も少なく分量はごくわずかです。

 それらの「原発事故避難者」の合計人数は、事故発生後5年経過した今もわかりません。それは、「原発事故避難者を定義しない。そのため、避難者の人数はわからない」と安倍内閣が国会議員からの質問主意書に対する答弁を閣議決定で見解を示したように、日本政府が「数えない」と決めているからです。

5 原発事故で失った、賠償困難なもの・・・将来設計

 原発事故が発生するまで、私たちはそれぞれの将来設計を持ってきました。故郷で暮らし続けること。都会生活を捨てて、積極的に田舎暮らしを選んだこと。ローンを返済しながらも自らが細部までこだわった家で暮らすこと。幼馴染たちと交流しながら、平穏な生活を送ること。誰にも迷惑をかけずに、それぞれが誇りをもって日々を暮らす、当たり前の生活がありました。しかし原発事故は、多くの人の将来設計を破壊しました。未来に対して抱いていた希望を失い、予想外の余生を送っているような心境になっている人も少なくありません。

6 原発事故で失い続けている賠償困難なもの

その1 土・水・空気への安心感

原発事故で失われたものは、その多くが産業としての経済活動に含まれないために、最初から賠償の対象外にされています。

 原発事故によって引き起こされ、回復の見通しがないもののうち、最も影響が大きく、影響を受ける人の範囲が広いものは、放射線被曝によって将来的な健康の安心が失われたことです。広島や長崎の原爆による放射線被曝の影響についても、投下後70年以上経過した今も、日本政府と被害者の間では裁判が続いています。

原発事故が原爆被害と異なるのは、今も、これからも、低線量ではあってもさらに被曝が追加されていく事です。一定濃度以上の放射性物質が東日本全体に降り注ぎ、それよりは薄い濃度の放射性物質が、地球全体を覆っています。海洋へ放射性物質が大量に流出しているのは人類史上初の事なので、今後の影響については全くわかりません。私たちは、土と、水と、空気からの事故由来の被曝を心配せずに生活することができなくなりました。

その2 金銭に換算できない、人同士の触れ合いとコミュニティの生活

 今年の春も、広い地域で野生の山菜等に出荷制限がかかったままです。そのような汚染があるものを、自家消費用としても採取に行く人は減りました。「事故から5年経過したから」と考えるのは科学的に間違っています。放射性物質による農作物への影響は、少なくとも数十年は続くので、山菜を採りに行って家族と一緒に安心して食べるという自由は、失われました。

 政府による避難指示区域では、避難によって家族関係やコミュニティが破壊されたことが広く知られていますが、原発事故は、避難地区以外でもコミュニティを破壊しています。東日本で、一戸建ての住居を所有している人の多くは、家庭菜園や、自家消費用の農地も所有しています。原発事故発生前は、自分で作った作物を近所におすそ分けしあうことで成り立つコミュニティが成立していました。しかし、原発事故発生後は、自分が作る作物の安全性に不安を感じたり、受け取った相手側の気持ちを配慮したりして、農作業を止めたり、おすそ分けを止めたりしている人も多数います。これは、原発事故による、金銭による換算がとても難しいコミュニティの破壊という被害です。

 さらに、「孫の喜ぶ顔が見たくて農作業をしてきた」という高齢者からは、生きがいをも奪ってしまいました。手塩にかけて農作物を育て、それをお孫さんに食べてもらい、笑ってもらえるという当たり前だったはずの事が、とても気を遣う、難しいことになってしまったのです。これも、金銭による換算がとても難しい被害です。

その3「除染」で失われる、かけがえがないもの

 また、避難せずに家屋や周囲の除染で何とか被曝を減らそうとしている人たちが失ったものも、多くは、金銭に換算することがとても難しいと考えられます。家を守る為にずっと大切に育ててきた樹木を伐採したり、枝を切り取ったりする作業が行われています。子どもの誕生の記念樹を伐採・撤去する作業も行われています。住宅の一部として大切に手入れしてきた芝生を剥ぎ取る作業も行われています。しかも、作業内容が政府や地方公共団体がリストに入れたメニューに掲載されていなければ、作業費用そのものも自己負担になっているのが現状です。

7 原発事故で失い続けている心の自由・・・本音で語り合うこと
 事実を話すことを県庁や国家政府やマスコミが禁じている

 今、失われていて、これからも回復する可能性が低いものは、「正直に語り合う」という、人間として当たり前の関係です。「原発事故による健康被害などない」という大前提で、日本政府や、政府官庁が作る「科学者」や「専門委員会」は話をします。しかし避難指示区域の避難者も含めて避難者の多くは自分や身の回りの人の異常な鼻血を経験しています。しかし、鼻血について原発事故と関連付けて話をすれば、自治体首長や県庁、閣僚までが「あり得ない事」と非難を浴びせ、マスコミが「風評被害を煽る発言だ」と報道することが分かりました。また、周囲の「復興」に力を入れる人や組織から糾弾されることもわかりました。

かなり早期から、福島県中通りでは、放射性物質や放射線被曝について語る時は「ホの話」として隠語で語られるようになっていましたが、場所によっては話題にすることさえもできません。

8 原発事故で、これからも失われていくこと・・・未来への安心と希望

 現在、一部の人たちからは既に失われていて、今後はもっと多くの人たちから失われていく可能性が高いのが「未来への安心と希望」です。

 まずは、避難指示区域からの避難者について考えます。当初、日本政府も県も自治体役場も科学者も報道機関も「数年間で元の状態に戻せる」ということを否定しませんでした。ただし「元の状態にできる」と断言した政府官僚や政治家はいませんでしたが、避難者からの願いに対して「それは不可能だ」と答えた政府官僚や政治家もいませんでした。避難者の多くは、「除染すれば数年で元に戻る」と期待し、自らも被曝しながら「除染」をしました。

2011年夏、避難指示区域外のある地区で、大規模な「除染実験」が行われました。その作業は、現在の原子力規制委員長が主導し、複数の閣僚も参加し、大々的に報道されました。その地区では、作業直後は空間線量が下がりましたが、元の状況には戻りませんでした。
事故発生後5年以上経過した現在、「原発事故発生前の状態には当面戻らない」と政府官僚や政治家、県庁、科学者は当たり前のように断言するようになりました。その上で、避難指示を解除する計画を進めています。避難者に残されたのは、原発事故前とは同じ生活はできないけれども住み慣れた地域に戻って不便で不自由な生活をするか、これまでとは異なる地域の住民になる生活をするか、という二者択一です。そこに、「未来への安心と希望」はありません。

 避難指示区域外で、原発事故による汚染を受けた地域の住民の場合も同様です。事故発生直後よりは放射性物質による汚染は薄くなったと思われますが、公的な機関による詳細な汚染調査は行われていません。住民自身が依頼して自費で調査を行わなければなりません。過去の核爆発や原発事故の事例を基に考えると、放射性物質は人間の予測を超えた移動をすることもあるし、事故発生後数十年経過後に健康影響が発生することもあります。やや高めの汚染があることを前提にして食事や行動に気を付けながら生活するか、より安全と思われる地域に移住するかの二者択一です。ここにも「未来への安心と希望」はありません。

9 「自主避難者」に対する、日本政府の「棄民政策」

 最後に、避難指示区域外から避難した区域外避難者、いわゆる「自主避難者」について、じっくり考えます。ほとんどのメディアが詳しく報道しないのであまり知られていませんが、区域外避難者の避難元は、実に広域に及びます。福島県内の避難指示区域に隣接した地域はもちろん、東北ほぼ全県、関東ほぼ全域に及びます。多くの区域外避難者は、これまで全く公的な支援も保障も賠償も受けることができませんでした。わずかに、福島県の「支援対象地域」から、福島県庁が一方的に決めた期間内に避難した人だけが、「住宅支援」を受ける権利を持っていました。
その中でも、自ら収入を得て生活を立て直すことができた人たちは、住宅支援打ち切りを待たず自立しています。

他方、最初から何の支援も受けられなかった「自主避難者」や、既に支援を打ち切られてしまった「自主避難者」の中には、生活困窮に陥ってしまった人も少なくありません。しかしながら「原発事故避難者」を定義しない日本政府は、そのような原発事故によって困窮に陥った人や世帯数を数えることができません。

今追い詰められているのは、自立したくてもできず、来年3月で福島県からの住宅支援を打ち切られる人たちです。この人たちの多くは、「災害救助法」による「みなし仮設の一年ごとの延長決定」という住宅支援があることによって、何とか新しい生活の場所を作り、生活してきました。ですが、「住宅支援打ち切り」は、何とか確保してきた、そのささやかな生活を奪おうとしているのです。

避難先によっては、賃貸住宅の家賃が高く、非正規労働の収入では家賃を支払うことが困難な例も多数あります。母子どちらかまたは双方が病や障害を抱える母子家庭で避難してきた家族、同じような状況を持ちながら父親を残して母子避難してきた人たち、子どもが幼いために仕事ができない母子家庭、母子避難者、などが特に、「来年4月からの生活展望」を持つことが困難な状況です。また、なんらかの障がいや病を持って避難してきた人たちも追い詰められています。特に、子どもに障害がある場合、支援が打ち切られて異なる学区に住居が移らなければならなくなってもその学区に障害に対応する学校があるかどうか、分かりません。

原発事故そのものによって生活を奪われ、さらに行政による政策変更によって、何とか築き直した生活をもう一度奪われるようなことがあってはいけない、と私たちは考えます。

10 「原発事故経験者」として、未来への責任を果たしたい

 このまま、日本政府や地方公共団体役場、「専門家」、「科学者」の言葉を受け入れて、低線量被曝を受け入れ、ひとり親家庭や障がい者の困窮を見捨て、原発事故による健康被害かもしれないことを語ることさえできない社会を作っていくことは、現在は「被害者」である私たちが、未来を生きる人たちへの「加害者」になることも意味します。

 後の世代の人たちに「なぜその時、反対しなかったの?」と問われて答えることができないような、「後悔する加害者」になることを、私たちは受け入れることができません。今、必要な「反対の意思」を示すことによって、未来への責任を果たしたいのです。

11 最後に。目前に迫っている自主避難者切り捨てを止めてください

 原発事故発生後、6年の間に避難者たちが作った人や地域とのつながりを再び切ることになる、「自主避難者への住宅支援打ち切り」という施策は、当事者に関する詳しい調査もせずに決められたことが、最近始まった福島県による「戸別調査」によって、逆に明らかになりました。避難者の実態を踏まえていない、支援打ち切りの実施を、再考・再検討するよう、要望します。

以上